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| 目次 | ||
| 2003/ 1 『教育基本法改正問題〜教育を歪めた悪しき伝統〜』逢坂喜郎 2003/ 2 『絶対評価〜揺らぐ評価の信頼性〜』中田 卓 2003/ 3 『総合的学習に異議』光岡誠司 2003/ 4 『民間人校長』伊藤義巳 2003/ 5 『教員の精神疾患』逢坂喜郎 2003/ 6 『箸を正しく持てない子供達』鮓谷喜也 2003/ 7 『学力テスト結果公表についての一考察』中田 卓 2003/ 8 『広島教職員組合から学校を取り戻せ』伊藤義巳 2003/ 9 『公教育の情報開示』光岡誠司 2003/10 『理念先行の危うさ』逢坂喜郎 2003/11 『各政党が唱える教育関連マニフェスト』鮓谷喜也 2003/12 『年末特集 今年の教育関連10大ニュース アンケート』 |
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| 『教育基本法改正問題〜教育を歪めた悪しき伝統〜』 逢坂喜郎2003/1 教育基本法は半世紀以上の歴史を持ちながら意外に中身が知られていません。現在、その改正問題が議論されていますが、やはり世間の関心は低いようです。いや、それどころか先生方でも教員採用試験が終わって何年か経てばお忘れになっているかもしれません。学校教育の現場では、学習指導要領の方に存在感があります。 そんな教育基本法が改正された場合、具体的にどのように教育現場に影響するのでしょうか。私は改正を押す立場からお話したいと思いますが、教育基本法はわずか1ページの短いものですので、よろしければ全文をぜひご覧ください。 http://tokkun.net/kihon.htm 教育基本法が制定された当初(昭和22年)、日教組はこれを"官僚的な悪文だ"と、制定そのものに反対でした。ところが今回の改正に関して「今の教育基本法は子どもたち一人一人を大切にする素晴らしいものだから改正は必要ない」と言います。このように日教組の姿勢が180度変わってしまったのはなぜでしょうか。改正問題がマスコミで報道されるときには、愛国心の部分ばかりが大きく取り上げられますが、実はこの日教組の方針転換の裏にこそ教育基本法の大きな問題があります。 基本法10条に、「教育は、不当な支配に服することなく」の文言があります。日教組はこれを拡大解釈して、学校から"管理"という考え方を徹底的に排除してきました。戦前の教育に対する反省から、権力に屈せず、良心に基いて生徒に向かい合うのは結構なことですが、干渉がないことをよいことに、教職を聖域化し、努力を怠っているとしたら大問題です。 例えば、5時までしか働かない先生、生徒のことよりも自分の利益優先で組合活動にばかり熱心な先生、果ては十年一日のごとく、毎年同じ内容の授業しかしない先生―このような教師は緊張感の無い職場環境から生まれてしまったのだと私は思います。組合の方々が基本法改正を嫌う理由はまさにここ、今の"恵まれた環境"を失いたくないからです。 もちろん部活動の指導のあと、毎日夜遅くまで残って校務に励む先生方は私の知り合いにも大勢います。私が問題視するのは、そのような献身的に働いている方々に仕事を押し付け、寄生するかのごとく給料をもらっている人々、そしてそれを可能にしている今のシステムです。税金で運営されている公立学校であれば、これを正すために改正の声をあげるのは納税者の自然な発想だと思うのです。 現在の組合との関係では、例えば教育委員会などが公平に勤務評定し、先ほど例にあげたような先生を「問題あり」と指摘するのはとても難しく、よほどのことが無い限り解雇など不可能ではないでしょうか。教育の現場で管理が否定された結果、学級運営もおかしくなりました。メール遊び・化粧・マンガ・居眠り…テレビを見るような感覚で授業を受けるのが異常ではなくなってしまいました。 ご父母の皆様は学校にどのような教育を期待されますか。学校間の競争が激しくなってきた現在、高い評価を受けている私立高校では、大抵、校長・理事長といった責任者が教育現場に対して強いリーダーシップを発揮しています。そのようなところでは生活指導であれ学習指導であれ一貫した姿勢が貫かれていると耳にします。教室に管理の行き届いていない学校が、豊かな教育を保証できるのか、大いに疑問です。 基本法改正に向けては、各方面から数々の提言がなされてきました。個性の前提となる公共心の育成や国際化に向けた日本人としてのアイデンティティの確立は是非とも基本法の理念に追加して欲しいところです。教育は国家百年の計と言われています。じっくりと議論する必要があるでしょう。改正を急がなければならないのは何よりも基本法10条の問題です。去年出された中央教育審議会の中間報告を受けて、今通常国会で教育基本法の改正に関して議論が始まります。 ▲ページTOPへ 『絶対評価〜揺らぐ評価の信頼性〜』 中田 卓2003/2 今年度より導入された絶対評価およびそれにともなう問題についてはこれまでもたびたび取り上げられ、当メルマガ昨年12月号でも教育10大ニュースで第2位にランク入りし、皆様の関心の高さがうかがえます。絶対評価の内申書を用いたはじめての高校入試が今まさに行われています。 絶対評価に移行するにあたり、当初から心配されていた学校間格差の問題ですが、それが現実のものとなってしまいました。東京都の調査結果によれば、公立中学で「5」や「4」の割合がもっとも高い学校と低い学校では評価に大きな差が生じており、都立高校を受験したときには、600点満点中最大約80点の差になることがわかりました。この大きな格差のため、"出身中学"によってその高校を受験する際に不公平が生じてしまうのは想像に難くありません。 同じ学力であるにもかかわらず、高校入試において始めから80点の差がついてしまうというような学校間格差を放置しておくことは決して許されざるべきことであり、東京都はそれをなくすための改善指導をしたようです。 ところがそもそも通知表の1や5の割合を縛らずに生徒を評価してあげることこそが絶対評価導入のメリットなのですから、各学校、各教師の評価にバラツキが出ることは自明であり前提なのです。絶対評価というのは究極的にはすべての生徒がオール5を目指せる制度なのですから、改善のしようもないのではないでしょうか。これを合格判定に利用することにそもそも無理があります。 実際に東京都教育委員会が今回公表した報告を読んでも何を改善しようとしているのか全く意味不明で、その理想とする評価方法が明示できていないのです。それもそのはずでバラツキを指摘しそれを直そうということは、すなわち絶対評価のメリットを否定し、相対評価に戻れということを意味するからです。これでは何の解決にもなっていませんし、来年以降も常に"監視"し続けるしかなさそうです。 しかしさらに見ていきますと、何らかの改善を加えようともがいているだけ東京都などは"まだまし"なのです。少なくとも情報を公開したためにこのようなことが分かり、改善のための議論がなされるのですから。絶対評価による 全中学校の1学期の成績を調査したのは東京都や神奈川県、埼玉県にとどまり、千葉県や北海道、京都府などは抽出調査すら実施していないのです。各教育委員会の担当者は口をそろえ「問題があるとは考えていない」と話していますが、一体何を根拠に「問題なし」と言えるのでしょうか。失礼ながらそういう方々の神経を疑います。 一見絶対評価のメリットを確信しているようですが、上に指摘したような受験に際しての学校間格差の問題はどうするのでしょう。東京都だけの現象とでもいうつもりなのか、あるいは格差が公になってしまったら手の打ちようがないと思っているのでしょうか。こういう地域では、高校合格者が特定の中学に偏るなどという事態も充分想定されてしまいます。受験生や、その父母の心配や混乱を払拭するため一刻も早く何らかの対策を構ずるべきだというのが正論ではないでしょうか。 また大阪府や福岡県など12府県では調査書を相対評価の成績で記載するという「安全策」に出ました。福岡県のある公立中学では多くの生徒が絶対評価で2年生の3学期より上がって大喜びでした。しかし夏休みを終えて相対評価で表した成績も知らされ、結局以前と変わらなかったということです。こうなるといったい何のための絶対評価なのかわかりません。父母や生徒達の不安や怒りは容易に想像できます。 教育委員会もさることながら、問題の元凶はいうまでもなく文部科学省にあります。文部科学省は、絶対評価を高校受験の調査書に使う際に噴出するこのような問題を充分認識しているはずですが、その対処は各自治体に任せっ放しです。あまりにも杜撰で、責任を果たしているとは考えられません。多くの中学3年生を混乱させたその責任は限りなく重いといえます。 ▲ページTOPへ 『総合的学習に異議』 光岡誠司2003/3 4月から公立高校で総合的な学習の時間が始まります。この制度により、教科学習の授業時間は一層減ることになるわけですが、広島県では既に10年ほど前から、高校進学希望者全入などの政策とともに、総合学科を先行実施していたのをご存知でしょうか。学習の強制や受験競争の徹底排除のためです。 広島県教職員組合とともにその旗振り役となったのは、新聞、テレビなどに頻繁に登場している文部科学省の寺脇研氏です。当時は広島県教育長でした。「広島県の公立高校の授業数は日本一少ない、それ以上を望むのならどうぞ私立へ」と言い放ったのでした。 そしてその結果…、かつて教育県と言われた広島の教育に関するデータは悲惨な状況を映し出しています。大学入試センター試験の県別の成績は平成元年以降全国15位前後だったものが8年には45位(10年にはついに最下位という報告も:広島市議会議事録)、人口300万人近い大都市であるにもかかわらず、平成11年、100校を超えるすべての広島県立高校を合わせても、東大合格者はわずか2名、京大は3名です。地元の名門広島大学においてさえ、広島県立高校出身の合格者数が激減してしまいました。 それ以上に深刻な問題は青少年の非行です。いじめ、校内暴力は急増し、少年犯罪率は全国1位。ここでは細かな経緯は省きますが、広島の教育改革の思想と顛末、すなわち「強制の排除」から「学力差の拡大と全体的低下」その後「犯罪の増加」という流れは米、英で行われた改革のそれと酷似しています。 寺脇氏はこの広島の惨状を反省するどころか、「総合学習は着々と成果を上げている」と述べ、現在はさっさと文化庁に異動してしまい、氏の大好きな映画等が「心を豊かにする」などとアピールしている始末です。絶対に自らの非を認めないこの文部官僚の体質こそ改革の最優先にすべきです。 同じく「ゆとり教育」に失敗し、子供の非行や公立校の学力低下問題に悩むイギリスでは、昨年モリス教育相が子供の学力を上げると公言し、テストで目標点に達しなかったという理由だけで潔く辞任しました。彼我の教育行政の差はいったい何なのでしょう。 一方すっかり教育荒廃のシンボルとされてしまった広島では、県議会、市議会でも学力、非行問題がたびたび取り上げられました。今、小中全校での学力テスト実施、学力向上対策重点校の指定など、これまでとは全く逆の競争原理の導入政策で必死に教育の立て直しを図っているところです。 ゆとり教育推進の日教組でさえ、研修会で「総合的な学習の時間」には多くの教員が不慣れで困惑している現状が報告されました。「自分の専門外の指導を求められ、何を教えたらいいか分からず時間をつぶしていて、大半の学校が困っている」「総合的学習は"お荷物"で、結局、生徒の希望より教諭のやりやすい内容を押し付けてしまう」と告白しているのです。 高校教師に対する最近のアンケートでそれが裏付けられました。何と7割近くの先生方は「やり方が分からない」と答え、6割は「不必要」とまで考えているのです。にもかかわらず、このまま日本中の公立高校で4月から総合的学習の授業が展開されてしまうのです。先生方、本当にそれで良いのでしょうか?現場を知らない官僚や大臣とは異なり、既に先生方は日頃の授業で、学力低下を肌で感じていらっしゃるはずです。 綿密に練られた、熱意あふれる授業であれば、たとえそれが受験に関係はなくとも、子供たちにとって一生の財産になる可能性がありますが、教師が「半信半疑」で組み立てた授業など、双方にとって苦痛以外の何ものでもありません。このままでは子供たちはますます学習から遠ざかってしまいます。 学校が週休二日になった上、この制度で科目学習が減らされるわけです。公立高校はただでさえ3割削減した学習内容しか身に付けていない中3生を受け入れなければならないはず。さらに国公立大学の入試科目は来年から7科目に増えるという状況で一体何にどう対処できるというのでしょうか。"好ましくない"という表現を通り越して"無謀でリスキーな"改革が続いていると申し上げなければなりません。 ▲ページTOPへ 『民間人校長』 伊藤義巳2003/4 「企業と学校が互いの失敗にも学び、より良い学校作りを行うため、外からの血が力になればと願っている」「民間企業の運営はトップダウンで組織を強引にまとめていくイメージが強いかもしれないが、そうではない。信頼関係と目標の共有化が最も大事」 これらは民間人校長の声です。教育改革の一環として、2000年度から導入された民間人校長登用の制度により、2003年度全国の公立小中高での民間人校長の数が50人となります。全国の学校数からすれば、まだごくわずかですが、この制度を利用する学校は年々増えています。その目的は明らかです。各自治体により表現が多少違うものの、学校の活性化、特色ある学校作り、公教育荒廃の歯止めを意図していると要約できるでしょう。 事前の保護者に対するアンケート調査の結果をみても、概ねこの制度に肯定的です。現に実施されている学校では評価も高く、この試みは成功を収めているように思われます。また、公募による校長、教頭、教員も増えており、最近では「百マス計算」「本当の学力をつける本」で有名なカリスマ教諭、陰山英男氏も公募により、広島県の小学校の校長に就任しました。今後ますます民間人の学校参画および、柔軟な人事採用の動きが活発化されることを望んで止みません。 それだけに、先月マスコミでも大きく取り上げられた広島県の民間人校長自殺のニュースは衝撃的であり残念で仕方ありません。詳しい原因はまだ分かっていませんが、「教員等は校長が朝、挨拶をしても無視していた」「教育委員会は校長からの相談を無視した」という、にわかには信じがたい事実が既に明るみに出ています。 この民間人校長登用制度には教職員の協力が不可欠なのですが、組合を中心とする教職員の間では「営利を目的とした企業論理は教育論理になじまない」「教育の専門性という観点で疑問あり」「企業のトップダウン式を学校に押し付けないで欲しい」とした反対意見も出ています。広島の悲劇は民間人校長が孤立無援の形で、こうした見解の相違を埋められなかった末に起こったのではないでしょうか。 実際、順調にいっている民間人校長たちも、就任当初は「教職員の態度は冷ややかであった」「教師を管理するために来た人と受け取られていた」「校長を上司と思わない職員もいた」と述べています。どんな組織であれ自分の所属するトップが自らの意向と関係なく、突然外部から招聘されれば反発したくなるのが人情というものでしょう。その意味では民間人校長の登用というのは手軽な改革案のようで、実は非常に大胆で難しい方策でもあります。 その両者の間に横たわる溝を埋めたのは、校長の持つ民間企業経営のノウハウと学校を何とかしたいという周りの協力であったはずです。当然ながら多くの教員も、教職を目指す際に理想の学校像や健全な情熱を持っていたはずです。 民間人校長の慣習に縛られない学校運営だけでは、教育問題を解決する万能薬とはなりません。それを支持する父兄や教育委員会の存在、そして何より閉塞感を打ち破るだけの力と志のある教員がいてこそ、この制度は威力を発揮すると思うのです。民間人校長の数を単に増やすだけでなく、それをサポートする組織なり制度なりをしっかり作り上げるべきだと考えます。 ▲ページTOPへ 『教員の精神疾患』 逢坂喜郎2003/5 ストレスで教壇に立てなくなった先生がどの位いるかご存知ですか?公立学校の病気休職者の中で、精神疾患を理由とする休職は46.0%〔2000年度の文部科学省調査〕にも上ります。この異常なまでに高い休職率は一体何を物語っているのでしょうか。また、この問題にあまり世間の関心が向かないのはなぜでしょうか。 昔から頑張って教職を勤め上げた先生方から見れば激務から来る精神疾患など「軟弱」に映るかもしれません。また、こういった場合に公立学校の先生は、90日までの病気休暇をとることができ、しかも最長3年間は有給で休職できるため、一般企業にお勤めの方から見た目には、公務員ゆえの高待遇で「甘えている」となります。それもある意味では真実かもしれません。 しかし、この問題は精神論だけで解決できないことは先に挙げた異常な数字からもお分かりになるかと思いますし、何より、将来を担う大切な子供さんを預かる教師が精神疾患を持っているとなれば、親や社会全体が無関心で良いはずがありません。非常に深刻な問題であると認識すべきだと思います。 三十代後半の英語教師Aさんは二十代で進路指導主任になりました。以降、生活指導主任や学年主任など、責任ある仕事を次々と任されました。進路指導主任のときは進路の決まらない生徒が出ないかと心配し、生活指導主任のときは他校とのトラブルに頭を悩ませたそうです。当然、クラス担任の仕事もある上に、運動部の指導で土日も夏休みもありません。連日の出勤です。 Aさんは英語教師で、自分の英語力を磨く必要を痛感していたにも関わらず、あまりに忙しかったため叶いませんでした。自分の力量不足を責める毎日が続き、ついに不眠症を発症、家で飲む酒の量も増えました。一睡もしないで通勤する日も多くなり、結局、心配した家族に連れられて、精神科医にかかるようになったそうです。 教員が精神疾患にかかってしまうのはもちろん様々なケースが挙げられるでしょうが、最も大きな原因は、上記のAさんのように、まじめな教師にばかり校務負担が集中してしまう学校のシステムであるように思われます。同時に、この問題が世間の関心を引かない理由も学校側に存在しているのではないでしょうか。すなわち、学校側からの情報公開が不十分なのです。 精神疾患による休職者が出た場合にはそれに関する公式の説明が速やかに学校側からあるべきだと思うのです。もちろん、病気による休職、まして精神疾患ともなると、教員のプライバシーの問題も出てくるでしょうし、場合によっては病名を偽ることで逆に実態が見えにくくなるかもしれません。また、校務分掌の失敗となると、管理職側の責任を自ら認めることにつながるので、校長先生、教頭先生には大きな失点といえそうです。学校がそのことを恐れるあまり、常に公表は遅れ、病状も悪化してしまうといえないでしょうか。 これまでのような閉鎖的な体質を改めない限り、精神疾患を生む構造的な問題にメスが入ることはないでしょう。また、子どもを学校に通わせている保護者の立場から考えると、例えば学期途中での突然の担任交代といった緊急事態に対してなんら具体的な状況の説明がなかったとしたらどうでしょうか?学校と家庭の信頼関係は根底から覆ってしまうはずです。もし本当に子どもたちや保護者との信頼関係を重視するのであれば、問題を隠蔽せず、きちんとした説明をして問題を共有するべきだと考えます。 ▲ページTOPへ 『箸を正しく持てない子供達』 鮓谷喜也2003/6 あるテレビ番組で小学生の箸の持ち方を調べたところ、正しく持てなかった人の割合が何と8割以上、しかも正しく持てない人は、矯正する意思もないというのです。そこで気になり、近くのファミリーレストランへ食事に出かけた際に観察してみますと、正しく箸を持てない人があまりに多いのに驚くと同時に、考えさせられてしまいました。 確かに箸を正しく持つことが出来なくても食事をするのには困りません。スプーンやフォークを使う食事が増えてきているのですから、特に幼児期においては、箸を使う機会は確実に減っていますし、今やその親御さんですら、箸の持ち方が怪しくなりつつあります。 小学校入学前の幼い子供たちにとって、箸を上手に使うことはとても難しいことです。時がたてば自然に身に付くというわけではなく、じっくりと時間をかけ繰り返し練習させなければいけません。それは、根気のいる作業であり、子供ととことんまで対峙する心構えが必要です。躾(しつけ)とは、それをす る側もされる側にも、相当の覚悟と負担を強いるものであると思うのです。 食事をするのに問題はないから、誰にも迷惑がかからないことだからといって自由に持たせることはいかがなものでしょうか。なるほど箸をどのように持っていたとしても直接他の人に迷惑はかかりませんが、不自然な箸の使い方を見て不快感を覚える人がいることは事実なのです。 日本においては、例えば、縁起の悪いことからご飯を山盛りにして箸を立てる「立て箸(仏箸)」など「嫌い箸」と呼ばれる不作法が存在します。そうした不作法をしないというのは、円滑に人間関係を進めていくための最低限の約束事に他ならず、それを子供に習得させることは何より親の役目であり、学校に期待することではありません。 私のような一塾講師が、箸の持ち方まで口出しする事が僭越であることは重々承知していますが、箸と同様に、生徒たちの筆記用具の持ち方を見ていますと、何か教育の根本での大きな欠落をどうしても感じてしまいます。 学習するために、ひいては生きていくために必要な知識や技能、社会生活の中で他人との関わりにおいて必要となる躾や作法などは、たとえ教え込まれる本人にはその重要性がわからないとしても、しかるべき時に家庭や社会がしっかり身に付けさせるべきではないでしょうか。 箸を正しく持たせることから教育は始まっているといえます。子供の個性を伸ばす前に、まず教え込み身に付けさせなければいけないことが社会には山のようにあります。それは、一方的であれ、決して個性を殺すことなんかではなく、その後の成長に必要不可欠な基礎事項を、経験者としての大人が深い愛情と覚悟を持って子供に与えていくことだと思います。 ▲ページTOPへ 『学力テスト結果公表についての一考察』 中田 卓2003/7 荒川区が、学校別に学力テストの結果を公表したことが話題をよんでいます。教員組合などを中心に、これに反対する声があり、常にその根拠にあげられるのが「学校の序列化」と「教師の萎縮」という意味不明の問題です。 すべての学校、すべての科目で平均点が同じになるということはありえませんから、当然テスト結果に、ある程度の差が出たとして、いったい何の不都合があるのでしょうか。仮に、隣の中学に平均点で5点負けたことが公になることで、教師は「萎縮」し、生徒達は5点低い別の学校の生徒を「序列化」し、さげすむのでしょうか?小学生の親は5点の差を理由にわざわざ遠くの中学に越境入学させるでしょうか? 親や生徒にとって、公立の学校選びで何よりも気になるのは、平均点のわずかな差などではなく、いじめ、非行などがあるのかどうか、校長、学校の教育方針、通学距離や施設などのはずです。つまり、学力テストの差が3点や5点であれば、誰もテスト結果による学校の序列化などしないと断言できます。 当然、問題となるのは平均点で大きく差が開いている科目や学校が存在する場合です。ひょっとしたら、それは"学級崩壊で授業が成り立っていない"などの原因が考えられるからですが、それこそ情報公開をすれば、特定の科目や学校に問題が存在することが明らかになります。先生方は数年でその学校から異動しますが、すべての生徒にとってはかけがえのない母校です。それに問題があれば、時を置かず協力して解決に取り組むべきです。 「萎縮」し「序列化」を恐れて、問題を無視、隠匿してしまえば、家庭や地域、学校の共通の問題意識すら持てず、それこそ「底辺校」としての「列」に定着させてしまわないでしょうか。その意味で、私は、教職員の批判とはまったく逆で、平均点の公表が序列化を防ぐとさえ考えているのです。 実際に今回、荒川区のテスト結果で、平均点に届かなかった中学の校長は教師に対し、原因を4つに分けて分析するように指示したそうです。原因を分析し、対策を練ることは必ずや授業に生かされ、生徒のためになるはずで、荒川区は「序列化」を防ぐために一歩前進したと考えます。このシステムが大きく広がることを期待します。皮肉を込めていえば、ゆとり教育がもたらす最大の功績になるとすら思っています。 ▲ページTOPへ 『広島教職員組合から学校を取り戻せ』 伊藤義巳2003/8 広島県尾道市の民間人校長、慶徳氏の自殺、ついで市教育委員会の次長山岡氏の自殺と異常事態が続いています。事件後の動きは以下のようなものです。 慶徳氏の自殺の原因究明にあたり、県及び市教育委員会の調査結果は『教育委員会の支援不足』と『教員の非協力的態度』を自殺の原因と報告しました。一方、広島県教職員組合(広教組)は『慶徳氏は鬱(うつ)病と診断され、市教育委員会に相談したが、過剰な勤務を強いられ、協力が得られなかった』、つまり"自分たち教職員に慶徳氏自殺の責任はない"と強弁したわけです。 また、文科省は国会で、山岡次長の自殺に関し『慶徳氏自殺の原因究明とマスコミ、市民団体への対応により、心労が重なった』と述べ、尾道市長は『慶徳氏自殺の根本原因は、学校と教職員』で、山岡氏の場合は『過激な取材活動をするマスコミが原因』としています。 一見、複合的な要因が絡み合っているように思われますが、その根本原因を作り出した張本人は紛れもなく、広教組とその思想集団です。慶徳氏が鬱病になった原因は、市長も指摘している教職員による卑劣なイジメ。聞くに耐えないような非協力的なやりとりが明らかになっており、疑う余地はありません。 遠山大臣らは『関係者は十分反省すべきだ』、『是正指導を徹底させる』と型通りのコメントをしている場合ではありません。このままでは結局、原因は特定されず、責任追及もないまま風化していってしまうのでしょう。 平成11年に起きた広島県の世羅高校長の自殺は、当時国会で国旗・国歌法を生み出すなど、大々的に報道、悲劇を繰り返さないための原因分析がされました。今回再び、同根と思われる事件が広島で起こったことは、依然として広教組の体質は一向に変わらず、世羅高校長自殺の教訓はまったく生かされていないことの何よりの証左です。 遠山大臣が真の教育改革を標榜するのであれば、まず『広島県の教育を歪める諸悪の根源は、広島県教職員組合である』と明言すべきでしょう。責任ある立場の良識ある大人が、相次いで自ら命を絶つということがどれほど重いものなのかを、また、校長の自殺には至らず、従って表沙汰にはなっていなくとも、その異常な環境下で教育を受けている多数の子供たちのことを考えれば、大臣や教育委員会はもっと踏み込んだ対応をすべきです。 子供の健全な成長のための教育改革において、今、同じ危機感を共有する現場の教員の力が不可欠です。改革を率先すべき立場の教員が、率先どころか、 協力すらかたくなに拒否し、またもや校長を痛ましい死に追いやってしまいました。そのことに何も責任を感じず、他に押し付けるような体質の組織が公教育に携わっている現実を改善し、学校を広教組による支配から解放しない限り、同種の事件が再び起こるであろうことは想像に難くありません。 ▲ページTOPへ 『公教育の情報開示』 光岡誠司2003/9 あれほどにぎやかであった学力低下問題が影を潜めました。文科省は有効な対策を出したわけではありませんし、学力低下を認めたわけでもなく、単に「指 導要領は最低基準」と言い残し論争から降りてしまったのです。当時この「最低基準」の発言は、学力低下不安に対する"言い逃れ"と見なされていましたが、今になってみますと、その意味はとてつもなく大きかったのです。 意外に思われるかもしれませんが、実は数年前から、教育は種々の行政システムの中でもっとも地方分権が進み、その結果、地方がその気にさえなれば、ほぼどんなことでも改革できます。そこに、文科省が指導要領の絶対性を放棄したことで、皮肉にも危機感を持った地方や学校のやる気に火をつけ、少人数制、能力別など、様々な前向きの大改革につながっているのです。 改革自体は良いのですが、今この混乱期に志望校を決めなければならない受験生にとって、情報の見極めは大変な難事です。例えば東京都立の高校改革なども百花繚乱。単位制、独自入試、民間人校長、進学指定校、総合学習の無視、学区撤廃、生徒による授業評価など、まだまだ挙げたらきりがありません。 つまり、親や生徒はこの改革により、教育の選択肢を広げ、権利や自由を拡大するのですが、それは同時に自己責任の増大を意味します。学校だけでなく受験生も責任やリスクを覚悟しつつ、情報を吟味した上で、自己決定せざるを得ない状況なのですが、問題はその時に何より必要な、正確で迅速な情報が決定的に不足していることです。文科省だけでなく、教育委員会や校長会などが握っている種々の情報やデータを出すだけで、教育現場や受験生とその親がどれほど助かるか計り知れません。 そもそも学力低下論争の時も、危機感を持った学者達の独自のデータに頼って論争していたことが混乱を深めました。また、絶対評価になってしまったため、中学生は自分の学力すら正確にわかりません。また、単に都道府県別のセンター試験の平均点を出すことが技術的に不可能だなどと、誰も信じないようなことを言っておくことは到底許されません。 今大評判の100マス計算を提唱されている蔭山英男先生を私は心から尊敬していますが、100マス計算自体は単に古典的な学習方法にすぎません。それがこれほど話題になること自体、いかに一般のご家庭が情報不足に陥っているか、いかに教育、学力に不安を抱いているかということの何よりの証左であると見るのです。この混乱期に充分な情報提供もしないまま、生徒一人一人に自己決定を求めるのはあまりにも酷で無責任です。 s.mitsuoka@tokkun.net ▲ページTOPへ 『理念先行の危うさ』 逢坂喜郎2003/10 文教都市・国立での「土下座要求事件」当時の教育長石井昌浩氏が、なんと現職という立場のままで、事件のいきさつについて明らかにした『学校が泣いている(扶桑社)』が先般出版されました。このような形で、児童を含めた一連のやり取りや教職員集団の教育に対するかかわり方などを公にしたのは例外的な出来事です。 長年にわたり国立市では「子ども中心主義」の理念のもとで、人権教育・平和教育・ジェンダーフリー教育などの「進歩的」取り組みが行なわれてきました。確かに子どもが主体的に考え、意見表明すること自体は悪いことではありません。でもそれが過度な権利意識を育て、政治的に偏った教育が行なわれていたとしたらどうでしょうか。 たとえ国旗・国歌を好ましくないものと考えたとしても、子どもたち自身が自らの判断で「土下座要求」するのはあまりに不自然です。これを子どもの意見表明として肯定的にとらえる大人がいたということは何を意味しているのでしょうか。また国立市は中学生の不登校の数が東京都で一番多く、全国平均の二倍にも上るということは一体何を意味しているのでしょうか。 国立市は「新左翼の解放区」と言われています。体罰や学級崩壊をマスコミに公表するような管理職は、教員の身分を危うくするものとして裏切り者扱いされ、つるし上げにあうそうです。一方、ジェンダーフリー教育の一環として男女混合名簿が全国に先駆けて導入されたり、権威を徹底的に否定するために卒業証書授与式が排除されたり、強い党派性を感じさせる教育が行なわれてきました。 詳細な情報は公にされず、教育内容に関するチェックは一切行なわれず、閉鎖的な環境の中で一部の教員が主導する反権力を旗印にした過激な教育理念が実践されてきたといえるのです。教育委員会の職員が学校に来るのは、監視であり、昔の特高警察と同じだから教室には入れない。校長の授業視察は、管理体制の強化のためだから教室には入れないそうです(都議会議事録)。石井氏の著作はそのような教育行政に風穴を開ける画期的なことだと思います。 公教育として税金で運営されている以上、偏向教育は論外ですし、それを包み隠すような理念先行型の教育論争は無意味であるどころか有害です。個性を育てるという教育目標は、言葉は美しいですが評価のしようがありません。少なくとも将来の社会の形成者として要請される基礎学力を身につけさせることが何より大切で、それが定着しているかどうかを数値として公表することによってはじめて、納めた税金が適正に使われているかどうかを正当に評価できるのだと思います。 理想論だけで教育を語ることに胡散臭さを感じるのは私だけでしょうか。理念先行の教育がもたらす弊害は次々と明らかになっています。教育の荒廃が叫ばれる昨今、理念に酔うのではなく、公教育の中で子どもたちが何を身につけることが出来るのかを具体的に語るべき時ではないのでしょうか。 ▲ページTOPへ 『各政党が唱える教育関連マニフェスト』 鮓谷喜也2003/11 11月9日は衆議院総選挙です。今回は各政党の唱える声明文の中でも教育関連の部分に着目、抜粋し、皆さんにご紹介させていただきます。尚、本来は教育の一部であるところの文化・芸術・スポーツ関連のマニフェストはスペースの都合により割愛させていただきました。(現在の獲得議席順です。) ■自民党■ http://www.jimin.jp/ ○"確かな学力"の育成として少人数授業、習熟度別指導など個に応じた指導を推進し、授業がわからない子供ゼロを目指す。教える側にも教員評価制度を確立し、優れた教員の確保を行う。 ○社会の規範や公共心、他人を思いやる心をしっかり身に付けさせるために、家庭・学校・地域社会が一丸となって"豊かな心"の育成を進める。 ○地域に開かれた学校づくりを進めるため、学校における情報公開と自己評価を推進する。また、中高一貫校の設置を促進する。 ○特色ある大学教育の取り組みへの支援を進める。また、世界最高水準の大学院や法科大学院など高度専門職業人を育成する大学院を支援する。 ○私立学校の振興を図り、私学助成の充実に努める。 ○教育基本法及び関係法令を改正し、郷土や国を愛する心をはぐくみ、公共心と道徳心あふれる日本人を育成し、家庭や地域の教育力の回復を目指す。 ■民主党■ http://www.dpj.or.jp/ ○一人ひとりの子供にきめ細かく目が行き届くようにするため、少なくとも小学校3年生以下のクラスはすべて30人以下にする。 ○「学校5日制」や学力低下問題に関する親の不安の解消、学習指導内容を含む自治体の教育権限の充実、保護者・地域住民の学校運営への参画の推進、学校評価制度の導入に関して「教育基本計画」を策定し、平成18年度から「平成の教育改革」を順次実施。 ○無利子奨学金の貸与額を50%引き上げる。また、授業料の減免措置を行う高校への財政支援を拡充する。 ■公明党■ http://www.komei.or.jp/ ○イギリスの学校理事会制度を志向し、地域住民や保護者が学校運営に参加できる「学校評議会」を創設する。 ○英語教育を公立小学校に導入する。その際英会話学校の講師派遣など民間を活用する。中学校卒業段階で日常英会話ができるようになることを目指す。 ○平成17年度までに、スクールカウンセラーを全中学校に配置する。 ○「わかる」授業をめざし、すべての小中学校に補助教員を配置し、様々な経験を持つ社会人や専門家等の活用を大幅に拡充する。 ○希望者全員が受けられる奨学金制度にする。 ■共産党■ http://www.jcp.or.jp/ ○欧米並みの「30人学級」を実現する。 ○義務教育費国庫負担金制度の縮小・廃止を阻止する。 ○私学助成の増額と私立校の父母負担軽減、学費値下げと奨学金拡充を行う。 ○政府の教育介入の仕組みをやめさせ、父母、子ども、教職員、住民が中心の「地域発、学校発の教育改革」にきりかえる。 ○教育基本法の改悪の動きに反対し、基本法を生かす方向にきりかえる。 ■社民党■ http://www5.sdp.or.jp/ ○「こどもの権利条約」を中心に、日本国憲法・教育基本法をあらゆる教育の場に根づかせ、具現化していく。 ○「国を愛する心」などを教育基本法の条文に規定することは憲法19条「思想・良心の自由」に抵触すると考え教育基本法の改悪を阻止する。 ○教育予算を世界水準であるGDP5%とするため「10ケ年計画」を作る。 ○完全学校5日制を学校ルネッサンスとして取り組む。学校は競争するためのものではなく、友達を作り、学ぶ楽しさを知るところであり、それにより真の創造力が身につくものと考える。 ○イギリスの学校理事会制度を志向し、「学校評議会」を創設する。 ○私学助成を進め、公私間格差の是正を積極的に進める。 ○教育の地方分権を一層の推進をする。そのために地方教育委員会に予算権を付与し、地域の実態を反映した教育計画の推進を可能とさせる。 ■保守新党■ http://www.hoshushintoh.com/ ○人間教育の第1の責任は親にあると考え、家族の絆を大切にし、家庭教育を積極的に支援する。 ○教育基本法の成果を受け継ぎつつも、それを見直し、わが国の文化・伝統・歴史を継承し、国際社会の中で活躍できる誇り高き日本人の育成を目指す。 ○学習指導要領の見直し、学力の向上を図る。ゆとり教育は見直す。 ○教員の質の向上を図り、地域と学校の現場裁量権を拡大させる。 ○学制を見直し、中高一貫、飛び級、習熟度別学習を導入する。 ○科学技術立国の創造のために高等教育に積極的に投資する。 以上です。明確に公約が異なるものとしては、教育基本法の改正問題が挙げられます。改正を推し進める自民・保守に対して、それを阻止させ基本法に合致させることを目指す社民・共産があります。「ゆとり教育」「学力低下」に対する答えとしては週5日制の撤廃を謳う民主に対し、さらに週5日制を推し進めようとするのは社民です。逆に各政党のマニフェストには共通部分も多く存在します。地域に開かれた学校を目指すこと、学校の評価方法の確立、少人数制の実施などです。塾のメールマガジンという性格上各政党のマニフェストの良し悪しはここで述べませんが、皆さんはどのようにお感じになったでしょうか ▲ページTOPへ ◆年末特集◆ 『今年の教育関連10大ニュース』アンケート結果 ★第10位 ■学習指導要領『歯止め規定』の撤廃■ 3割削減の新指導要領に対する、強い批判に耐えかねて、文科省はこれまでの立場を変え「指導要領は(上限ではなく)"最低規準"だから」と弁明しました。ところが指導要領には「〜を扱わないものとする」というような学習範囲の上限を示す記述(歯止め規定)が各所にあり、説明と矛盾します。これをつかれた文科省が今年、要するに"無視してよい"という趣旨の見解を発表しました。こうなると、公立高校入試の出題範囲すら不明確になり、混乱は必至です。 ★第9位 ■百マス計算でおなじみの陰山メソッドが人気■ 百マス計算や反復練習により、基礎学力向上を実現させた陰山メソッド。子供の学力低下を懸念した保護者のニーズに応えるものとなり、書籍を含め、問題集、ドリルが爆発的に売れました。本メルマガでも著作が紹介されました。 ★第8位 ■週5日制により、増える二学期制■ 新学習指導要領、週5日制への移行に伴い、学力低下を防ぎ、授業時間の確保を目的として、二学期制を導入する自治体、学校が増加しました。二学期制にすることにより、始業式、終業式や定期テストなどの回数を減らし、授業時間を増やすための苦肉の策です。二学期制への移行は全国的に広まりつつあり、他に文化祭、体育祭などの学校行事を減らす学校も出てきました。 ★第7位 ■絶対評価導入後、初の高校入試■ やはりというべきか、中学校によって、通知表の絶対評価の内容は様々でした。極端に5を多くつけたり、逆に5がほとんどなかったりしました。当メルマガで指摘し続けた危惧が現実のものになりました。内申点が飛躍的に上がった生徒も多くいましたが、その結果、実力以上の高校を受験し、学力重視の入試に対応できずに不合格となったり、逆に"水増し"をしなかった、ある意味、節度を守った特定の中学の生徒たちが内申重視の試験では不合格でした。これらの生徒はこの制度の犠牲者です。彼らにかける言葉も見つかりません。 ★第6位 ■5教科7科目以上が大半、国公立センター試験■ 科目増の原因は、生物を学んでいない医学部生や数学を知らない経済学部生などに代表される学力低下問題です。入試科目をいっせいに増やせば問題が解決するなら誰も苦労しないはず。20年ほど前に7科目から5科目に減らしたのは、7科目を嫌って優秀な人材が3科目で受験できる私立大学に流れてしまうから。つまり、今と同様、国立大学生の学力低下が引き金でした。同じ理由で試験科目を増やしたり減らしたり、いったい何をしているのでしょうか。 ★第5位 ■文科省が子の成長と脳の関係を調査■ 文科省の「脳科学と教育」研究に関する検討会は、テレビゲームのやり過ぎ、人との触れ合い不足が子供の脳の発達に与える影響を重点的に研究することを求めました。文科省も来年度から、生活環境が脳の発達に与える影響を調べ、教育方法の改善に生かす方針です。ご父兄には気になるニュースです。 ★第4位 ■大学入学金など返還義務はあり?なし?■ 元受験生が、私大の入学金や授業料などの前納金の返還を求めた訴訟の判決が京都地裁であり、授業料を返還するように命じました。ところが大阪地裁では、入学金は入学しうる地位と資格を得たことの対価であるとして、請求を全面的に棄却。その後、授業料の返還を認める司法判断が定着しましたが、入学金は判断が分かれています。そもそも入学しない受験生からの収入をあてにして、今の大学が運営されている、その実態が大問題なのです。この件に関しては法律論よりも受験生の要望や、世間の常識を判断基準にして欲しいものです。また、ことの本質は、大学の経営問題であり、そこにメスを入れるべきです。 ★第3位★ ■未成年者の重大事件の増加■ 少年法のあり方、加害者、被害者への人権問題、犯罪動機など、様々な識者たちが論じていますが、意見は多種多様です。今年起きた主な重大事件は、長崎の男児誘拐殺人、大阪の家族殺傷、御津のタクシー強盗殺人、沖縄での集団暴行致死など、挙げればきりがありません。外国人の犯罪の増加もあり、治安や若者の行動に対し不安を感じている方が急増していると言えそうです。 ★★第2位★★ ■指導力不足教員、問題教員による事件の増加■ 授業、生徒指導ができないなど、「指導力不足教員」と認定された公立学校の教員が増加しています。この認定を行なっている教育委員会も増えており、今年度中にすべての教育委員会で指導力不足教員の認定が行なわれ、そうなればその数はさらに増える見通しです。この3年で指導力不足と認定された教員は503人。うち研修を命じられたのは397人。研修を受け現場に復帰できたのは151人。依願退職した教員は116人でした。また毎日のように報道される教員による問題行動や犯罪は、やはり父母の関心を引き、全体の2位でした。 ★★★第1位★★★ ■学力低下は基礎、技能不足の可能性と文科省分析■ 学力低下をかたくなに否認してきた文科省でしたが、とうとう押し切られる形で、昨年小中生対象の学力テストを実施。その結果を受け、文科省は学力低下の原因は特定できないものの、基礎的な知識・技能や、日常生活に関連づけた理解力の不足を、その可能性として挙げました。一転して学力低下を認めた訳で、自治体、学校に対し、具体的に指導方法の改善を求めました。これは、確かに一歩前進なのですが、今まで現場と一緒になって学力低下を否定してきたにもかかわらず、それが通らないと見るや、すぐさま自らを一段高い位置に置き、現場を指導する立場に早代わりして、現場に責任を押し付けている印象は ぬぐえません。 ■2003年総括■ 当教室代表 光岡誠司 歴史的大論争となった昨年のゆとり教育導入ですが、今年も引き続き様々な論争、改革が続いています。多くの識者が指摘した問題点が現実のものとなってしまった一方で、文科省の予想以上に現場の危機感は強く、斬新な改革が出てきたのが今年の特徴です。10大ニュースには出ていませんが、新聞や書籍などでは、学校改革の成功例が数多く紹介されています。 ただし、そのほとんどは特定の教育委員会や校長の強力なリーダーシップ、先生方の創意工夫や父母の熱意が成功の原動力となっており、決して公教育のシステムが機能したものではありません。予算の裏づけもないままです。むしろ一般的には、連日報道される問題教員の事件を聞くにつけ、個々の教員の質に対する不安、公教育に対する不信は高まる一方でした。 今後こうした中から出てくる地域格差、学校間格差は必然的に大きくなり、すでに私立の学校は大競争時代に入っていたのですが、その波が国立大学や公立の小中高校にさえも及ぶはずです。等しく税金を負担していながら義務教育の段階で受ける教育の格差が広がるのは見過ごせない問題ですが、少なくともしばらくはこの方向性は止めようがありません。 生徒も父母も、進学指導をする学校の先生方も我々塾講師も、今は"名前"だけで学校を選ぶことはできません。一方学校側もだまって生徒を待っている時代は終わりました。初の4年制大学の廃校がすでに報じられています。ちょうどはざかい期に当たってしまい、特に、絶対評価になり、模試も進学資料に使えない中学生において混乱しています。これを、ゆとり教育と呼ぶのは皮肉以外の何ものでもありません。何より早急に高校受験の制度を分かりやすく整備することと、逆に国立大学が個性を発揮できるような環境作りを期待します。 ▲ページTOPへ <close> |
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