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目次
2005/1 『2005年からの教育の行方』逢坂喜郎
2005/2 『総合学習の見直し』伊藤義巳
2005/3 『これでいいのか大学入試』門田勝博
2005/4 『進学指導重点校〜指定期間3年を終えて〜』 伊藤義巳

2005/5 『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』福原洋
2005/6 『歴史教科書問題』逢坂喜郎
2005/7 『文系・理系』門田勝博
2005/9 『感性を磨いて魅力ある自分を』川崎雅通
2005/10 『学力テストの復活』伊藤義巳
2005/11 『2006年は大学入試新課程元年』中村勝之
2005/12 『2005年父母が選ぶ教育界10大ニュース』
 
『2005年からの教育の行方』         逢坂喜郎

 OECDの調査結果を受けて実に30年ぶりに授業時間数の増加が検討されています。いくら批判されても「学力低下はない」と言い張ってきた文部科学省の論拠の一つが崩れたのですから、当然の流れと言えるでしょう。

 そもそも時間数を減らせば、授業についていけない「落ちこぼれ」が減るという発想にこそ問題があったのです。むしろ逆でそういう子どもたちにこそ、授業時間外でのきめ細やかなケアが必要だったのです。また、学習意欲の高い子どもたちに対しては、さらにレベルの高い教育の機会を与えるべきでした。

 OECDの調査で1位に輝いたシンガポールでは早くから習熟度別授業が行われており、柔軟に教育の機会均等が保証されている様子が覗われます。そこには日本でしばしば見受けられる悪しき「平等」主義は一切なく、非常に現実的な政策判断が行われていたのです。

 これに対して日本のこれまでの学級編成は、定期試験の平均点が各クラス横並びになるように行われており、最大公約数的な最低限度の教育内容しか提供されてきませんでした。その結果、授業に満足できない生徒は塾へ通い、また減らされたカリキュラムにすらついていけない意識の低い子どもたちも塾へ通うようになりました。

 こうして子どもたちの学校離れがどんどん進んでいったわけですが、経済的に塾に通うことが出来ない子どもたちや、通う意志のない子どもたちはどうなってしまったのでしょうか。

 最近の「ベネッセ未来教育センター」の調査によれば、「家で全く勉強しない」という中学生が3割以上いることも明らかになりました。同センターによればこのような生徒は課外活動にも消極的であることが多く、将来は、親のすねをかじり続ける「パラサイトシングル」や、働かず教育も受けない「ニート」の予備軍になる可能性があるとして警鐘を鳴らしています。

 一方で2時間以上勉強する生徒も3割近くおり、このような生徒の多くが塾に通い、出された宿題をこなすことで家庭学習の時間が確保できているというのが現状です。

 このような階層細分化の流れはやがてはどこに行き着くのでしょうか。極端な話、ここまで格差が広がってしまうと一斉に授業を行うことすら出来なくなり、公立学校そのものが解体してしまう危険性さえあるように思われます。

 もちろん、現在、各地で意欲的な学校改革などが報告されています。例えば東京都は昨年、都内全公立中学二年生を対象に、学力テストを実施、区市別の平均正答率を発表しました。小金井市が五教科ともトップでした。同市にある東京学芸大の学生ボランティアが補習授業などをサポートしてきた成果だとされています。また葛飾区は今年から、中学校の夏休みを一週間短縮します。

一方で、何も行っていない地域、学校もまだまだ多いのではないでしょうか。当教室の周辺の中学ではそのような対策が立てられたという話は聞いておりません。少なくとも休みになってしまった土曜日に、及第点に到達しない子どもたちを学校に強制的に集めてでも補習授業を行うことは、教員の意欲さえあれば十分に可能なはずですが。

親の年収や住む地域によって、義務教育レベルが大きく開いてしまい、ゆくゆくは社会が階層化してしまうようなことは何としても阻止すべきです。そのためには、文部科学省が即座にゆとり教育政策の誤りを認め、早急に軌道修正
に向けたリーダーシップをとってもらいたいものです。遅きに失したとはいえ、本年がそのスタートになることを切に望みます。

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『総合学習の見直し』    伊藤義巳

先日、中山文科相が総合学習の見直しに言及したことを新聞は大きく報じました。文科相は以前から、国力の基礎となる教育は日本で危機的な状況にあり、教育を国家戦略と位置づける、学力で世界のトップを目指すとし、『ゆとり教育』からの転換を図ろうとしていました。そして先頃OECDの調査結果により、学力低下に異論の余地がないことが示され、学習指導要領の見直しと合わせて総合学習についても見直すとの発言が出たものです。

当初から多くの教師らは、総合学習の導入を好意的には捉えていませんでした。そもそもこの総合学習導入の意図は、自ら課題を見つけて考え、解決する能力を育てることを狙いとしたものです。生きる力同様に、非常に抽象的であり、教科書もなく全て現場の熱意、工夫に任せるといった、その非常に不透明な総合学習により犠牲となった主要科目の時間を取り戻す文科相の意向に私は賛成します。

一方で今回の大臣の発言に否定的な声も聞こえます。OECDの調査結果を受けての揺り戻し、導入3年目にしてようやく教師の理解が深まっただけに時期尚早である、国の方針が揺れ迷走しているなどです。学校間で総合学習に取り組む姿勢の熱意の差により、その反応も様々です。また総合学習の効果はOECDのような学力テストで計ることが出来ないものという意見もあります。では何をもってその効果を計り、評価するのでしょう。各学校、教師に委ねられた総合学習の中身についても、はたして目的に合致したものなのかをどう判断し、誰が責任を持つというのでしょう。

そして何より問題と考えるのは、過去に実績もない総合学習に取られる授業時間や教師の時間と引き換えに主要科目の学力の低下を放置してよいのかという点に尽きます。自ら学び、考える力を付けることは確かに感覚として必要なことだと思います。読み書き、計算や基礎基本よりも不透明な総合学習の方が大事なのでしょうか。考える力を付ける上で一番大切なことは、まず国語力であり、他の教科にしても基礎基本であり、知識であることは疑う余地はないはずです。その基礎をなおざりにして、生きる力、考える力などとは本末転倒と言わざるを得ません。

問題は指導要領の見直しと共に総合学習が削除され、主要科目の授業時間が増えたとき、当然期待され、目的となるのは冒頭にある、学力で世界のトップとなるはずです。見直しによって期待通りに学力が向上するかどうかは、まさに学校、教師の力によります。総合学習や、授業時間の削減だけが学力低下の理由なのかどうか、白日のもとに曝されるわけです。そうした意味において、文科相の発言の裏には、教師へ学力向上という新たな責務を負わせることになるとも言えるのではないでしょうか。

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これでいいのか大学入試』     門田勝博

大学入試も国公立後期試験を残し、終わりに近づいてきましたが、すでにこの間、出題ミスの報道や試験前に問題が流出していたという報道がありました。このようなミスを報告する義務が出てきたのが平成14年のことですが、今年
は特に大学受験関連の問題を耳にする事が多かった年だったように感じます。

昨年も100件以上のトラブルがありましたが、今年もそれと同じくらいの数になりそうです。今年の中央大学の入試ではこういう事件がありました。

2月10日、文学部の一般入試があり6199人が受験しました。発表は2月19日にあったのですが、英語の問題で出題ミスがあったと2月24日になって判明し、これにより配点1点の問題を全員正解にしました。たった1点なら・・・と思いますが、再び合否判定をした結果、新たに67人もが合格となったそうです。既に別の大学に学費を払った場合は、補填するようですが、合格が不合格にされてしまったのではたまったものではありません。

また、ある試験監督が試験中にメールをしていたり、監督者のミスにより、会場によっては試験時間が短かくなってしまったりという事件もありました。この件については、始め“時間を確保した”という話が、後日”多少短かった。”というように説明が変わっていました。

大学入試センター試験の国語の問題では、一部の教科書と全く同じ文章が出題されていました。しかも教科書に付属していた設問と同じような問題が本番でもやはり出されました。見逃した理由としてセンター側は、「教科書のタイトルと試験問題に記載した出典名が違っていたことが最大の原因」とのコメントを発表しています。

しかし、このようなことは多少調べれば発見できるわけですし、56万人もの受験生が受ける試験で、このようなチェック体制の甘さではどう考えても平等性を保てるはずはないことは明らかです。

現在大学入試センターは、英語・国語の問題流出の可能性や国語でのチェック体制について、調査を続けているはずです。しかし、その進捗状況は大学入試センターのHPを見ても何もわかりませんし、責任者もわかりません。

試験場でのミスがあると翌日には、“○○大学で試験時にトラブルが”というように新聞にのってしまいます。やはりそれだけ大きな問題なのです。人間がやることだから、どこかに間違いが出てしまうのはわかります。しかし、昨年、今年と、あまりにもその数が多いことと、そのミスの内容にはあきれてしまいます。数年間努力をし、人生をかけてその試験を受ける受験生も多いはずですが、それを試験関係者が強く認識して欲しいものです。

そして、このような入試トラブル増加という事態を受けて、大手予備校が各大学の入試問題をチェックするサービスを始めました。しかし、模擬試験とはわけが違います。それを依頼するような大学側の姿勢には、疑問を感じます。

その大学で本当にほしい生徒を選別するのが入学試験です。信念を持って問題作成をし、ミスがないように徹底したチェック体制を学内で作り上げるべきではないでしょうか。

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『進学指導重点校〜指定期間3年を終えて〜』     伊藤義巳

平成17年度入試を終え、塾生たちもそれぞれの志望の学校に巣立っていってくれました。塾の役割からすれば、生徒の進学実績はすなわち塾に対する評価と同義です。

公教育においても特に進学実績を重視し、そのための指導とカリキュラムに力を入れている学校があります。東京都教育委員会から平成13年度より進学指導重点校の指定を受けた、『日比谷・戸山・西・八王子東』の都立高校4校です。今年は指定を受けた年に入学した生徒が初めて受験する年でありました。

その中で日比谷高校の今年度の実績を紹介します。私立難関(慶応・早稲田・上智)の現役合格者数は、昨年60名から今年149名に、国立難関大学(東大・東工大・一橋大・京大)は6名から20名へと増加しました。(3月25日現在)

各都立高校は毎年、学校経営計画を作成し、その掲げた目標に向けて学校を運営していくシステムになっています。そこで日比谷高校の経営計画を見てみますと、その中に進路指導について『難関大学現役合格者数の向上を目指す』とあり、『国立大学20名以上』『私立100名以上』と具体的な数値目標が記載されています。今年度入試の結果、見事に目標に到達したことになります。

この飛躍(といって過言ではないと思いますが)の理由は何なのでしょう。日比谷高校は全都立高に先立ち、平成13年度から自校作成問題による入学選抜を実施し(ちょうど今年の受験生が第一期生と重なります)学力の高い生徒を確保できたことも挙げられますが、何よりやはり高校の努力と熱意がこのような結果を生んだのでしょう。

当初は各方面から“不公平だ”など、反対意見が上がっていましたが、公教育の荒廃が叫ばれていた中で、都立高校の改革は急務でした。各都立高校の特色を打ち出す一つとして『進学指導重点校』が生まれたのです。

大学進学を希望する生徒にとって、中高一貫の私立に負けない進学実績を残すことが出来る都立高校を復活させることは、進路の選択の幅が広がっていく、望ましいことであるはずです。現在も都立高校改革は中高一貫校をはじめ、様々に特色を持った高校が出てきています。

日比谷高校の場合はひとまず成功と言えるでしょうし、今後も注目されます。学校全体が一丸となって共通の目標を掲げ努力することで、学校は変わる、教師も生徒も変わるということが証明されたのではないかと思うのです。そしてひとつの成功例によって、学校教育全体が活気づいていくようにも思われます。

都立高校も悪くはないな・・・という気持ちにさせてくれます。現在も続いている、他の都立高校についても改革の結果が楽しみです。我々の税金で賄われている学校が良くなることに反対する人は誰もいないでしょう。

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『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』〜読書のすすめ     福原洋

学校や職場などで忙しい毎日を過ごしていると色々ストレスがたまります。やりたいことや、しなければならないことがたくさんあっても“時間がない”。社会問題化しているニート族や引きこもり、モラトリアム現象などは、せわしない時間の流れの中で何をすべきかの判断のつかない人が、一時的に問題を回避しようという状態に追い込まれていることが一因でしょう。

使える時間が無限でない以上、自分ひとりでやれることにも限界があり、そこに悩みが生じます。親や先生に何でも相談するというのは、中高生にはちょっと気が引けます。適切なアドバイスをしてくれる先輩がいると助かりますが、これまた、優れた先輩、仲間に出会うチャンスはそうめったにありません。

そのような出会いを確実に与えてくれるものがあるとしたら、それは読書ではないでしょうか。本には私たちの先輩達の成功、失敗のエピソードがそれこそ無限に詰まっています。このコラムの冒頭に掲げた言葉はドイツの将軍ビスマルクのものですが、読書の必要性を端的に言い表していると思います。歴史を文字文化=本と考えれば「賢者は読書に学ぶ」ということになります。

「愚者は経験に学ぶ」という部分は経験の大切さを否定しているわけでは決してありません。実際に経験しなくてはわからないことが人生にはたくさんあります。でも中には暴力や犯罪、戦争など、経験せずとも理解しなければならないこともたくさんあります。本は私たちに行動の指針を与えてくれるだけでなく、行動の抑制つまり道徳も同時に与えてくれるのです。

読書家というと部屋の中で本ばかり読んで外で行動しない、というイメージがあるかもしれません。「あの人は本の虫だ」という言葉から連想されるのはそういう否定的なイメージです。しかし私がまわりを見渡す限り実際は逆で、読書によって昔の人の知恵と経験を(成功、失敗両方を含めて)学んでいる人は、より正しい行動指針を持っているので行動がスムーズで積極的です。正しい判断ができるので充実した体験をする機会も多くなり、それをまた次の経験に生かしていくというふうに読書を有効に活用しているのです。

ビスマルクのいう「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という言葉を私なりに解釈すると「賢者は読書から学び、それを経験に生かす」となります。私たちは常に前を向いて新しい時代にせわしなく対応してかなくてはいけませんが、常に過去の歴史(history)の物語(story)を読み、先人たちから知恵や教訓を授かる必要があるのではないでしょうか。

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『歴史教科書問題』逢坂喜郎

 中国での反日デモは日中両国にとって非常に不幸な事件でした。なぜ不幸なのかと言いますと、例えば歴史教科書問題で、中国側は日本の歴史教育のあり方を批判しますが、そもそも肝心の教科書を読まずに批判しているからです。

 町村外相は、日中外相会談で李外相に対し、ちゃんと読んで批判しているのか尋ねたところ「読んでいない」との答えが返ってきたと明らかにしています。下村文部科学政務官も「教科書をよく読んで批判してほしい。どこがどうけしからんというのか分からない」と不満を述べました。

 責任者たる外相でさえこの有り様なのですから、反日デモに参加した人々は、日本の歴史教科書をまともに読んで批判しているとは到底言えないでしょう。

 ところで翻ってみて、批判されている日本側の私たちは教科書問題に関して十分な情報を得ているでしょうか。前回の検定で、扶桑社は文部科学省の反対を押し切ってまで書店での販売を行いましたが、今回は採択期間中の販売はないそうです。

 前回あれだけ批判された「新しい歴史教科書」は、戦争礼賛どころか、非常にバランスの取れた教科書だったという評価が一般的です。それを考えると、検定前・採択前であっても全て国民が容易に閲覧できる仕組みを作り、歴史教育に民意を反映させても良いのではないかと思います。

 今回の騒動で朝日新聞は、まだ教科書採択期間である、すなわちほとんどの国民が内容を知らない間にもかかわらず、「新しい歴史教科書」を「ふさわしくない」と批判し、その後、産経新聞と激しいやりとりをしました。

 歴史教科書の内容に関して議論を戦わせることは大いに結構なことですが、現状では、来春の教科書は、6月17日までは東京に足を運ばなければ閲覧することはできない、よって大半の国民はその内容を知らされることなく、時に報道機関の意見に左右されかねない状況にあると言えるのです。この状況は読まずに教科書を批判する中国の人々とどこが違うのでしょうか。

 歴史をどのように教えるかということは、国が将来の自画像をどのように描くかということにほかなりません。自国の文化を誇りに思い、他国と堂々と議論できるような人材を育てたいと願うなら、現在の閉鎖的な体質を改め、国民が情報を共有した上で他国の意見に堂々と反論できるだけの材料を用意しておくべきではないでしょうか。

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『文系・理系』門田勝博

少し前に『高校で生物を学んでいない医学部生』や『数学を履修していない経済学部生』という現象が問題にされました。その時は、学生が安易に進路を考えている、とか、大学側が受験生集めのために受験科目の制限を緩めていると指摘されました。私は高校の進路指導にかなり問題があると考えています。

 最近の毎日新聞の記事にこのようなデータがありました。要約しますと、

“高校時代に理系・文系の転向を考えた学生は21%いたが、転向を実現したのはその中のわずか31%にとどまった。転向を断念した人に自由記述で理由を尋ねたところ、「生物や物理を勉強していなかった」など、未履修科目や苦手教科を克服できなかったことを挙げた。また「2年で(文理を)決めたら、変えられないと学校で決まっていた」など、学校内の制度上の理由を挙げた学生も目立った。”というものです。

実際に先日、ある高校生と進路についての話をしました。神奈川県のごく普通の公立高校に通っている子です。将来は国公立大学に行きたいという夢を持っているのですが、”2年生になって文系・理系を決めなきゃいけないんだけど、どんな選択すればいいの“と質問をしてきました。

私は“将来のことを考えると、数学はUB(経済学部などで必要)まで選択できるようにしておいたほうがよいから、最低限それを選択しておきなさい”と答えました。しかし“UBを選択するとVC(理系数学)まで選択しなきゃいけないんだけど”と言われました。

 驚いて、学校から渡された紙を見てみますと、確かに理系でないと数学U・Bが選択できないようになっていました。これでは経済や経営、商学部など、数字を扱う分野へ進みたくても、それらは文系学部に分類されているために、学校では数学を学べなくなってしまいます。

いったい何のために文系、理系を分けるのでしょうか?この例一つを見てもとても生徒の将来を考えているとは思えません。教員配置など学校の運営上のためなのでしょうか。

世の中には“文系だから・・・”“理系だから・・・”といった言葉があふれていすぎるような気がしますが、これからの時代に文系・理系という分類は必要あるのでしょうか。今や大学で注目を浴びている研究のほとんどがこれまでの学問領域を乗り越えたもので、文理共同のものも目立ちます。

クローン問題では科学と倫理や宗教がぶつかりました。日中間では経済と歴史の理解が不可欠です。実社会の中でバイオテクノロジー・遺伝子関連の話題が出てくる今日では、生物を文理にかかわらず必修にする、などということも検討するに値すると思います。

わかりやすいのは環境問題でしょう。人間の体のしくみがわかっていなければならず、汚染を分析する化学が必要ですし、天体や大気の分析も不可欠。また各地域の経済事情が大きくかかわり、エネルギー問題や、外交、そして法律で何らかの規制が求められるかもしれません。

これまでは、単に数学が好きだから理系で、数学が嫌いで英語のほうが好きだから文系となっていましたが、明らかに時代遅れです。文系・理系という枠にはめることをやめ、幅広く学習科目を選択できる環境作りを、特に公立高校は進めてほしいと思います。

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『感性を磨いて魅力ある自分を』川崎雅通

 好きな歌がある。この歌を聴くとあのときのことを思い出す。そんな音楽に出会ったことがあるだろう。その心に残る歌は、メロディーが好きなのだろうか、それとも歌詞だろうか?

 歌には歌詞で曲を聴かせる作品がある。歌詞が自分の心に響くのは、その歌詞とそれを受け止める自分の感性や感情が一致したとき。作詞者は自分の感性を歌詞のなかに凝縮して表現する。その表現に聞き手の感性が重なったとき、心に響く歌に出会ったと感じる。

 同じように作り手の感性のすべてを注いで生みだされるのが本。作家は自分の創造性を最大限に発揮して作品を作りあげる。言葉の一つ一つを選んで。そんな作家の選んだ言葉を噛み締めて読んだ本が一冊でもあるだろうか?ある人は、そのときの自分の心のあり方と作品が共鳴しあったことになる。このとき自分の感性は磨かれたこととなる。

 本という一つの作品だけでなく、自分の感じていることや考えていることと同じような感覚をもっている作家との出会いのなかから、その作家の作品を通して自分の感性が一層高められることもある。

 感性を磨くには、まず自分自身をよく考えてみる必要がある。自分はどんな人間か。どんなことに喜怒哀楽を感じるか。何が好きで、何が嫌いか。身近なあらゆることに自分がどう感じているのかを振り返りしっかり考える。日常的に見る些細な情景、家族や友人などとの会話。その場やその状況のなかで、何かを感じている自分をよく思いおこしてみる。

 感性を磨くには知識も必要になる。ものの見方や考え方の手順や方法。これまでのさまざまな面で優れていた人たちがどんなやり方で考えをまとめたのかを勉強してみるのも感性を磨く方法の一つ。そのために今があると考えてほしい。今の生活のすべてが自分の感性を磨くためのものだと感じ取れれば、何一つ無駄がないと感じられるのではないだろうか。

 そして、感性が磨かれると自分という人間に他の人にはない魅力が備わる。この魅力が、これからの社会を生きていくひとり一人の武器になる。学歴や資格もまだまだ社会では必要とされているように見られるが、今後の社会を生き抜くためになくてはならないもの、それが「自分にしかない魅力」。だからこそ感性を磨いておこう!!

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『学力テストの復活』伊藤義巳
                       
今年の夏の終わり、文部科学省から2007年度より全国一斉に小学6年生と中学3年生を対象に数学(算数)と国語の2教科のテストを1学期に実施すると発表がありました。詳細はまだ不確定であり、問題点や懸念すべき点もいくつか挙げられています。その第一は学校間の競争と序列化が起こるのではないかと危惧する点です。

実は全国学力テストは40年前まで実施されており、全国一斉の悉皆調査により(抽出ではなく、全員受験)教職員組合の猛反発が起きたこと、自治体の間での競争の過熱などを原因に、廃止となったという経緯があります。(裁判沙汰にもなりましたが、学力テストは合法の判決)

平成16年度に学力テストを実施した自治体は39都道府県、11指定都市となっています。各自治体によりその方法は違い、また予算の問題、全国レベルでの位置が分からないなどの問題が挙げられます。そんな中、文科省主導で全国一斉の学力テストの実施は自然の流れと言えるでしょう。

生徒が全国の中で自分の学力はどの位置にあるのかを知ることは、励みにもなり、学力を客観的に、公正な基準で知ることは何より大切なことだと思います。ペーパーテストだけで学力を判断することができるかどうかといった問題を懸念する人もいるでしょうが、少なくとも基礎となる学力は問題作成の工夫により判断できるのではないでしょうか。

また生徒の学力を上げようと学校が本気になるためには、客観的な学力判断が必要になるはずですし、授業効果を計る上での指針にもなるはずです。公表をどのような形で行なうかという問題もありますが、私は学校間に競争が起こるような形をとって欲しいと思います。生徒の学力を上げることに学校が取り組むのであれば、そこには当然、競争の原理が必要になってくるはずです。

学校選択制を実施している地域に住む保護者や生徒にとって、学力だけが選択基準ではないはずですし、地域によって学力差は出てくるのは自明のことだと思います。それぞれの学校がそれぞれの環境の中で、どのように生徒の学力を上げる努力を熱心に行ない、その成果が上がっているかという点が大きな問題であるはずです。

失われた競争意識を取り戻すこと、学力向上に向けて学校と教員の方々が、客観的なデータをもとに、授業力を増すためのより前向きな取り組みに期待したと思いますし、文科省の決断に、学校関係者をはじめ、多くの方々の協力が得られることを願って止みません。

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『2006年は大学入試新課程元年』中村 勝之

来年の入試から新課程入試が始まります。来年だけは浪人生(旧課程履修者)が不利とならないように移行処置がとられます。教科書改訂に伴う新課程による入試は最近では1997年度入試が該当します。この年のセンター試験は色々と問題がありました。来年はその様なことが無いことを願って当時浪人生の怒りのレポートを書いてみたいと思います。

@ 旧数U選択者と新課程生との差が平均点で21点以上もあり、浪人生不利であった。大手予備校の模試では浪人生は平均点で新課程生に負けたことが無かったのにこの結果は明らかに問題の難易度の差によるものである。浪人期間中に蓄えた実力が全く点数に反映されない不公平極まりないものであった。

A 生物、日本史選択者に対する度重なる不運。生物Bと物理Bでは平均点で約19点の差、日本史Bと世界史Bでは同じく約13点の差、これに@を加えると生徒によっては最大53点の格差。これは新課程導入に伴う科目数増加による問題作成上のミスと思われる。しかし、受験生にとっては単なるミスでは済まされない。

B 国公立大学の出願締め切りは2月4日であったが、2月7日に文部省(現文部科学省)から二段階選抜(足切り)の緩和を発表。昨年より数10点あがったボーダーラインをみて、泣く泣く志望校の変更を余儀なくされ、昨年ではひっかかりもしなかった足切りにひっかかってしまい、2次試験で力を試す機会を失い、考えもしなかった大学へ出願し、第一志望へのあきらめと、新たなる出願校への対策で焦っているときである。はたして何に対する考慮なのか?何を今さらやっているのか?それで不平等入試に考慮をしたつもりなのか?受験生をバカにするにも程がある、と思わずにはいられない。

以上まとめてみました。
実力がありながら、センター側の不手際で「春」が来なかった受験生はどこに怒りをぶつければよいのでしょう。受験生は弱い立場ですから文句も言えず、大人の社会に従うしかないのです。そこのところを斟酌されずに勉強以外のことで不合格にされてはたまりません。センター側は、この不手際を教訓として二度とこのような事のないように万全で臨んで欲しいと思います。

また、来年は英語のリスニング入試元年でもあります。機器の使い方の不慣れからトラブルが起こらないよう、公正に実施されることを切に願わずにはいられません。真面目に勉強した人が合格する。これは当たり前のことだと思います。頑張れ!受験生。きっと合格することを祈っています。

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2005年父母が選ぶ教育界10大ニュース 

【第10位】2006年度センター試験にリスニング導入
■入念な準備と予行練習でトラブル回避?新課程入試の年■学校でオーラルの授業を入れるより、入試科目にリスニングを採用する方が、英語力アップにはずっと効果的です。ただし、日本人の英語下手は決して“聞けない”ことではなく“読めない”のが原因だということは、データから明らかです。英語教師を含め、かなりの人が『日本人は文法はできるが、聞けない、話せない』といまだに誤解しています。昔の固定観念です。

【第9位】学校の安全確保に向け防犯カメラ、警備員等の設置へ
■ここ最近の学校内での事件を受け、各自治体が動く■年末になって小学生が犠牲になる悲惨な事件が相次いで起こりましたので、ますます学校の安全確保が議論されるようになってきました。防犯カメラ、警備員配置だけではなく、地域社会全体で子どもを守ろうという動きが活発になってきました。

【第8位】神奈川県で絶対評価『5』の割合が最大で20倍の格差
■教委は昨年に比べ平均化が進み適正と評価。20倍の格差も容認■20倍の格差をどういう根拠で容認できるのでしょう。絶対評価導入当初から学校間格差が危惧され、その通りの結果となっているにもかかわらず、なぜ廃止できないのでしょう。この制度では、自分の学力よりも、自分が先生にどう評価されるかということが気になるのは当然です。善意からではなく内申書のためにボランティアをしたりするような生徒がいるのもやむをえない!?

【第7位】教員免許に「有効期限」
■教職大学院も2007年度開校。教員養成塾も自治体で開塾の動き■数年前に一度見送られた制度改革案の復活です。教員免許改革にはかなりの抵抗があり、遅々として進まず、詳細はまったく決まっていません。仮に教員免許の更新が実現しても、現役教員に適応されないのであれば、早くても10年後の話です。にもかかわらず、これがランクインしたことに“教員の質”に関する世間の強い関心、はっきり言えば不満が感じられます。

【第6位】小学校の校内暴力18%増
■過去最悪の1890件。幼稚園と小学校と連携の必要性も有り?■前年度に比べ、中学生は5%減、高校生は3.7%減であり小学生の増加が際立っています。「キレやすくなっている」小学生について文科省は忍耐力、自己表現力、人間関係を築く力が低下しているのではと指摘しています。小学校と幼稚園との連携を深めることでスムーズに小学校生活に移行できる、と積極的に
進める自治体も増えています。不気味な兆しです。

【第5位】9年制小中一貫校の創設を文科省が検討
■従来の6・3制を見直し、きめ細かい指導の確立を目指す?■すでに品川区など教育特区などでは独自の案で新しい制度を導入しています。教員免許の問題と同様、こちらもどうなるかは依然不明です。しかし戦後60年続いていた義務教育の制度改革をスムーズに行なうのはかなり難しく、指導要領や教員配置など問題は数多くあります。単純に小中の区切りを見直すためなのか、名門私立に対抗できるようなエリート養成学校を目指すのか、目的も今ひとつ曖昧なままですが、ご父母の関心は高いようです。

【第4位】ニート・フリーター対策に国が対策
■増えるフリーターとニート。国が対策に本腰を入れはじめる■増加の一途を辿るニート・フリーターに対し、文科省は就業支援とともに、学校教育の側面からも個別面接による実態調査で原因解明に乗り出します。定義、統計がいろいろありますが、およそ約60万人のニート、400万人のフリーターがいるとされています。最近は中高年フリーターというものまで話題になっています。この問題も議論の切り口がいろいろあり、コメントも難しいのですが、個人の問題と別に、社会全体にどういう影響があるのか、“ニート発祥の地”であるイギリスなどの例を冷静に分析する必要があります。

【第3位】校舎は大丈夫か?耐震・アスベスト問題
■耐震化と調査に文科省は予算を計上。学校の安全は守られるか■全国の公立幼小中高の内303校で飛散の恐れありとの調査結果が発表されました。学校給食の調理場でもアスベストを使用している調理機器を保有していた調理場が約5000場あり、内1639場で飛散の恐れがあるとのことです。また、学校の耐震化率は50%前後であり、対策が急がれています。身近なところに危険が潜んでいるのだという不安感と、最近の耐震強度偽装問題の報道などから、学校の安全に対しても高い関心を集めました。

【第2位】指導力不足教員公立校で566名
■最多を更新。不祥事も多く問題解決への道のりは遠い■前年度より85名の増加です。セクハラやわいせつ行為による懲戒処分が139名となり、依然問題教員の多さが露呈しました。また内閣府のアンケートによると、私立の小中学校で38%、都道府県教委の21%、市区教委の36%が指導力不足の教員が増えたと回答しています。犯罪者はもちろんですが、指導力不足であると認定された先生を雇っていた責任は追及されないのでしょうか。

【第1位】ゆとり教育を方向転換(中山前文科相)
■新大臣はゆとり教育賛成か?今後の動向に注目■あいかわらず、ゆとり教育の方向性に対する関心は高く、第1位でした。OECDの学習到達度調査の結果は学力低下を示し、中山前文科相はゆとり教育、総合的な学習、教科書内容などを見直し、世界トップレベルの学力の復活を明言しました。私どもも全面的に賛成していたのですが、新しく就任した小坂文科相は、ゆとり教育は方向性としては間違っていなかったと新聞のインタビューに答えています。ここ数年の経緯から、ネコの目改革と揶揄された文科省ですが、依然として方向性は不明確なまま、新大臣が就任したことになります。ぜひ新
大臣には何もしないで欲しい?

■■■ 総括 ■■■  光岡誠司
 今年のランキングと、ここには登場しませんでしたが、義務教育費国庫負担金問題、中国・韓国と外交問題にも発展した教科書問題などを見ておりますと、今年は教育分野というより、経済、政治または安全とからんでいるものが目立ちました。学校単独ではとても処理できないような大きな問題ばかりです。

 一方、ゆとり教育、教員の質に関するものなど、ここ数年ずっと上位にランキングされているものがあり、これに対し、中山前文部科学大臣が積極的な改革を推し進めていましたが、そのさなかの交代で、先行きは不透明なままです。

 また、公立小中学校の校長先生の年金が、官僚のトップである国の事務次官よりも高いという報道も話題になりました。優秀な人材を確保するという名目で、教員の給与は他の公務員より高くなっていますが、国を背負うエリート中のエリートである次官以上の年金というのはどうなのかという声が広がりまし
た。

 私の知る限り、教員の年金がこういう形で取り上げられたのは初めてです。増える一方の教員の不祥事と、公務員改革、民営化、財政健全化の流れのなかで、もはや教員を“聖職”ではなく“特権”と見なす風潮です。バブル以降の“民間の血のにじむようなリストラ”が引き合いに出されたわけです。

いずれにしろ学校の信頼回復なしには、教育問題は悪化の一途をたどることになりそうですから、まずは諸悪の根源である絶対評価を廃止し(少なくとも相対評価の併記)、指導力不足の教員を容易に排除できる制度を早急に作ること、そして明確にゆとり教育からの転換を宣言することだけで、かなりの信頼回復ができると考えます。来年、そういう方向へ向けた変化の兆しが出てくることを期待します。

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