タイトル 「理系離れの阻止」
筆 者  黒住 智彦
所 属  元個人特訓教室講師
掲 載  未掲載

教育について何か書かなければならない。テーマは『理科系離れ』『教育の地方分権化』や『教科書問題』などなど色々思いつきはするのですが、こういったテーマについて総論するとどうも新聞の記事っぽくなってしまい面白くありません。そこで今回はそんな大それたテーマについて書くのではなく、ややこじつけではあるが理科系離れを制度的側面からではなく、メンタル面で食い止める為(?)に、理学部物理学科出身の自分らしく学生時代に経験したことを中心に、理科系の魅力が伝わればと思いちょっと長々と書いてみました。

まず最初に、物理学は新しい価値観と出会うことが可能です。大学の物理学科では、専門必修科目として量子論や量子力学という分野を学びます。量子と言うのは、物質を構成している最小単位である電子など、とても小さな粒子の総称です。この小さな粒子の運動を説明する為には、従来の物理ではなく量子力学という新しい理論体系の数学を含む物理を勉強しなければなりません。やや厳密さを欠く大まかな説明をすると、それまでの物理で用いた数学では『1+1=2』(一義的)であったものが、量子力学では『1+1』は必ず『2』になるのではなく『かなりの確率で2にはなるが、ごく稀に2以外の1や3などにもなり得る』(多義的)と要約できると思います。つまり、古典物理(量子力学以前の物理学をこう呼んでいます)では『野球のボールを投げ上げるとそれは必ずある一筋の放物線を描いて落下してくる』と一義的に論じられていたものが、量子の世界では『ある電子は2分の1の確率であっちに行くかもしれないが、2分の1の確率でこっちに来るかもしれない』といった様にもう一義的に論じることが不可能なのです。さらには量子がそのような振る舞いをする理由について、或いはその量子論自体についても、物理学者の間には様々な意見があり半ば哲学的な議論になっています。『哲学や経済学は学者が4人集まれば4〜5通りの意見が出る』と揶揄(?)されることもありますが、それと同じことが物理学の世界にあることは学生ながらにとてもショックを受けましたし、新たな知的好奇心の出発点ともなりました。そしてそれまでは、『文系=多義的』『理系=一義的』という偏見を持っていた私は反省し考えを改めるに至ったのです。理系は頭が固いと思われ勝ちで、その原因はこんなところにあるのかもしれませんが、その固い頭が柔らかくなる爽快感は格別で、この様な経験ができるテーマは理系のどの分野でも大抵用意されていることと思います。

次に、その研究する内容が挙げられると思います。
4年生で行う卒業研究では前人未踏と言えば大袈裟ですが、それまでには研究されていない物や現象について研究します。私の例では『サーマルドナー(注釈参照)』という、その発生メカニズムや形、特性について正確に分かっていないものについて研究しました。教科書になるような書籍は当然無く、あるのは数本の英語論文だけで、実験方法や試料の作製なども全部自分で考え、ときには実験装置そのものを作ったりしなければなりません。しかしそれが楽しいのです。今までの論文ではこの実験方法では調べられているから、それとは異なる実験を実施してサーマルドナーの新しい性質をみつけてやろうと意気込みながら色々吟味し、数多くの失敗をしながら次々に実験を行います。また実験方法が変われば試料の大きさや形も変えなければならないことが普通で、その度に数ミクロン単位の誤差で試料を作製する方法を考えなければなりません。超音波など高度な装置を使うこともありますが、ときにはヤスリを用いて1ミクロン単位の調整や鏡面のようにツルツルに磨き上げなければならないこともあり、職人級(?)の高度な技能が身についたりもします。この様に、実験方法などを考えることだけでもパズルを解くような楽しさはあるのですが、それ以上に自ら予想した通りの実験結果や予想だにしなかった実験結果が出てきたときの感動や驚きは大変に大きなものです。(後者はどちらかと言えば困るのですが…)それらのことを実験して確かめたり発見したのは広い世界で自分だけだという何とも言えない達成感があるのです。また、その実験結果は次の年の研究生や大学院生に引き継がれて行くのですが、いつか誰かがサーマルドナーについてノーベル賞級の大発見をしてくれるかもしれないという、殆どありもしないことを想像するのも何かロマンチックで楽しいものです。最近ノーベル化学賞を受賞した筑波大学の白川教授も、もともとは卒業研究生か大学院生が行っていた実験から生まれたと聞きました。この様に、わずか大学3〜4年生レベルで、その分野では世界最先端の技術や理論を対象に研究できるのは理科系ならではの醍醐味ではないでしょうか。

また、職業を選ぶにあたってその選択肢が広いことも理科系の魅力ではないでしょうか。
今までの内容を読まれると、理科系は研究職や開発職など専門職以外の文科系就職には適していないような気がするかもしれません。しかし決してそうではないと思います。理科系として培う『自分で問題を見つけ解決法を模索し、それを人に分かり易く論理的に説明する』というスキルは、営業であれ企画であれ、多くの職業に必要とされる能力だと思うからです。営業を例に挙げれば物がなかなか売れない昨今、客先の潜在的なニーズを察知しその解決法を分かり易く伝える能力がより重要となっていることは、書店のビジネス関連の棚を覗きこめば顕著です。概して理科系は文科系よりも確かに視野は狭いこともあると思いますが、それも既述の柔らかい頭を持って謙虚であれば克服できるのではないでしょうか。実際に文科系就職をする理科系の学生も多くいます。

色々と書いてしまいましたが、新しい価値観に出会えて、総意工夫を凝らしながら自分だけの研究ができ、さらにはツブシもきくという理科系の魅力が伝わればと思います。まだまだその魅力は全部語り尽くせていないのが実感なので、興味がある方は授業中や休み時間に私に直接きいて欲しいと思います。この様なコミュニケーションがとれるのも個別指導ならではの利点だからです。この教室から将来の優秀な理科系の人材が輩出されることを願っています。少なくとも、この文章を読んでから理科系離れする人がいない事を願って…。

注) サーマルドナー(thermal donor:熱的ドナー): 格子欠陥の一つです。固体は原子が周期的に規則正しく配列された完全な結晶格子として扱うのが普通ですが、実際の固体は不純物が含まれていたり格子そのものに歪みがあったりして完全な規則性を有していません。これらを総称して格子欠陥と呼びます。このうちサーマルドナーとは、シリコンなどの半導体をある一定温度以上で熱することにより、不純物として含まれていた酸素原子が数個から十数個集まり、電流の担い手である電子を結晶内に放出するものを言います。電子を放出する点では良く知られたp型半導体やn型半導体と同様ですが、サーマルドナーは必ず電子を2個ずつ放出するところにその特異性があります。特にその形に関しては正確にはわかっておらず、提案されているモデルも数多くあります。サーマルドナーの実験方法としては、ホール効果による簡単な電流測定からX線回折、赤外線分光器、電子顕微鏡などを使用するものまで目的(電気的性質を調べたいのか、ある特定の原子の存在比や密度を測定したいのか、原子配列そのものを知りたいのかなど)によって様々です。物性物理としてはマイナーな分野で研究者が少ないだけにやりがいもありますが、その研究がもたらす社会的メリットについては博士レベルでも答につまるという(?)欠点もあります。将来の電子デバイスに応用されるかもしれないなぁ、されればいいなぁ〜と言うのが正直な感想です。

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